公文算数をやめてみました。
ずいぶんと更新が空いてしまいました。
やめるやめる詐欺状態だった公文ですが、
やっと先日、算数をやめることになりました。
決定的な理由となったのは、時間の余裕がない、ということ。
6月の全国統一小学生テストを受けるために
過去問をやらせてみたところ、
思考力が必要な問題が全然解けないことがわかりました。
解けない、にもいろいろあると思いますが、
息子の場合、考えようとしない、というのが当てはまるのでしょうか、
問題に対する持久力?がなさそうなのです。
こうかな、
これでは解けないみたいだな、
表作ってみようかな、
こう考えればわかるかな、
そういうのが面倒なようで、
ちょっと考えなければいけない問題だと、
イライラしてしまうみたい。
これはある意味公文の弊害かな、とも思います。
パッと答えがでる=わかる
ということをやり続けてきたために、
すぐに答えがでない=わからない
と思ってしまうみたいです。
これは、算数に限ったことではありません。
国語は公文ではやっていないのですが、
国語でも、記述問題や抜き出し問題は粘り強く問題に向き合えないのです。
問題を解くということに対しての考え方自体が公文式になってしまっていると
痛感しました。
もちろん、公文のおかげで、計算は比較的早く正確に解けるようになりました。
なので、公文と並行して、じっくり考える力や思考力が必要な問題もやっていこうとしました。
でも、16時すぎに学校から帰ってきて、学校の宿題、公文の宿題、ピアノの練習。
それを終えた息子に、「さぁ、問題集やってみようか」とは、なかなか言えません。。
そこで、時間の比重を見直し、計算問題にかける時間を減らすため、
公文の算数をやめました。
公文の効果は感じています。
それは、いい意味でも悪い意味でも
今回の小学生テストの結果が如実に示していました。。
というのは、
算数の知識問題と思考力問題の正答率の差。
その明らかな差を目の当たりにして、
公文のおかげで知識問題を解く力がついた、と思える一方、
思考力が必要な問題、解けなかったね、、ということです。
公文の算数をやめることに不安もあります。
続けることにも不安があります。
でも、やめてみて、やっぱり続けた方がよかったと思ったときに
再開すればいいだけのことです。
ちなみに、年長の次男は公文の算数を続けます。
今の次男には、数字の感覚を養うことは必要だと思うので、当分続けます。
それにしても。
公文を一教科やめただけで、毎月約7,000円もうくのですね。
嬉しすぎるなぁ。笑